意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

まずは一休から始めよ

家の近所におかしな家があってこの場合のおかしなとは、頭がおかしい、のおかしな、である。どうおかしいのかというと塀の向こうの見えるか見えないかのところにビデオカメラが設置してあって、人の往来を撮影しているのである。カメラのすぐとなりにモニターがあるから撮影されていることがわかるのである。モニターは白黒で駅のホームとかコンビニのバックヤードにあるモニターに似ている。

塀には飼い犬の糞を持って帰るようにという注意喚起の張り紙があり、前段のことと繋げてみるとどうやら糞を持って帰らない人を撮影しようという試みである。私は実家が割と田舎で土が多いし土地を所有したこともないからあまり感覚がわからないが、この張り紙とカメラに相当の怒りをかんじる。

それで注意喚起のとなりに一休さんの絵があって、それは一休さんが屏風の虎を出そうとする場面の絵であった。私はそれを見ていたら物語の中で一休さんは絵の虎を出そうと奮闘するが、しかし一休さん自身も絵であるごとに気づいた。虎を出す前に、まず一休さんが出てこなければならないのである。こういうのをメタというのだろうか。私はメタというのがどうも苦手であまり理解ができず、要は楽屋オチでしょ?とか思ってしまう。私の若い頃はメタファーとか言っていた。そのカウンターとして物語の猫は自分の欲望の象徴ではなく猫なのですよというやたらと猫を大切にする主張もあった。確かにそう考えないと私自身が誰かの薄っぺらな主張のために存在しているような気になってしまう。もちろんそれでも全然かまわないのだが。