意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

リトルマーメイドを見た

子供がディズニーチャンネルでリトルマーメイドを見ていたから一緒に見た。夕食を食べながらである。今日の夕食はすき焼きの鍋だったが肉が少ない上に味も薄かったため卵の味ばかりがした。「肉は塊で入れたから」と妻は言うが私がありつけたのは一口くらいだった。総じて少なかったのか子供たちが食い占めてしまったのかはわからない。とにかくライオン並に肉が好きな子供たちなのである。私はまあいいやと思ってシラタキや椎茸や白菜を食べた。


ディズニープリンセスというので見慣れていて気付かなかったが私はリトルマーメイドをちゃんと見るのは初めてだった。あるいは忘れただけかもしれない。王子様とのキスが日没に間に合わなくて悲鳴をあげたら周りに怪訝な顔をされた。アリエルは声と引き換えに脚を手に入れ、お父さんは王座と引き換えに娘を取り戻す。その歳にいちいち契約書が取り交わされ、そういえばアメリカは契約社会と言うくらいだからこの辺はきっちりしているのかなと思った。アリエルの契約書を父はビームで破壊してなかったことにしようとするがなんと契約書がビームを跳ね返してしまうのである。ここだけ見ると父の方が野蛮人である。一国の王という設定だが恐怖政治を敷いているのではと訝ってしまう。娘を助けるために王座を明け渡すがその際に一切のためらいや迷いもなく、これじゃ家臣や家来はやってられないのではないかと思った。しかしこれは子供向けだから父親が国か子供かで思い悩んだらがっがりするから仕方ないのかもしれない。

夜更かし

朝寝坊をしたので、朝食もとらずに家を出て空きっ腹にコーヒーを飲んだら胃が痛くなった。とても眠いし午後から外出もしなきゃだったから早退しようかと思った。やがて元通りになってお昼も普通に食べられたので出かけた。出かけるときは会社の自転車に乗ることになっていたが滅多に出かける人などいないから予め空気入れを用意した。前回乗ったときに信じられないくらい空気がスカスカでよくパンクしないもんだと感心しながら運転したのを覚えていたからだ。空気はじゅうぶん入ったがサドルの汚れ具合は忘れていたのでウェットティッシュを取りに戻った。


自転車はとても快適だった。私は普段自分の自転車で通勤しているが、これがタイヤの径が小さい上に雨ざらしで錆びていて乗っていると軋んだ音を立てて具合が良くない。それに比べたら信じられないくらい静かですいすい進む。しかし私はもう大人なのでびゅんびゅん飛ばしたりはしなかった。車やトラックと併走するのはとても怖い。できるだけ交通量の少ない道を選ぶが裏道でも大きなトラックが平然と走っている。途中に行ったことのないトンカツ屋があって2台しかない駐車スペースの1台を店の車が占拠している。そこに泊まっている日産セレナがバッタのような独特の色をしている。バンパーにも傷が付いている。


できるだけ細い道を選んだためやたらと信号に引っかかった。とても古い信号でよく見ると所々塗装がとれて錆びている。冬の日差しが強くて赤なのか青なのかわからない。背の高いトラックが光を反射すると青にも見えるが実際は赤だ。

会社の文章

正確に文章が読めない人の話。 | Books&Apps

メールでよく文章を書くようになったのは今の会社に入ってからでまだここ6年の話だ。ここでいうメールとは会社でやりとりするメールのことだ。私の所属するところは顧客とやりとりするわけではないからビジネスメールと言うかは知らない。メールの書き方がわからなかったので当時の部長という人がいてこの人がとてもカラフルでみっちりしたメールを書くので参考にした。それまではここで書く文章のノリで書いていたら上司がため息のようなゲップのような息を漏らしていた。でも後々考えたらここ人は胃だかどこかの内臓が悪いらしくしょっちゅう息を漏らしている。だから私の文章も特に読みづらいとかそういうのではなかったのかもしれない。


別の上司はとても厳しい人でやたらとドラッカーやらコーチングだか言っていたがメールの文章は素朴で小学生みたいだった。ビジネス書が好きな人はこういう文章を書くのかもしれないと思った。


前述の部長の文章を参考にしていて、本当に子供にご飯を食べさせるみたいに言い含めなきゃいけないんだと思った。それまで私は文章の長短や書かなさ具合に心をくだいていたが、会社という場所ではそんなことは些事なことであり主語がどんなに重なろうが最終的に相手に伝えることが目的となる。たまにウェットな感じに綴ってくる人がいるがそういう人は相手にされず、あとから聞くと心を病んでいて円形脱毛症にも悩まされているとのことだった。

ヘルメット直置き

帰りにスーパーに寄ったら私の自転車のそばにヘルメットが直置きされていておどろいた。いったん買い物をして戻ったらあったのである。表面には「大和魂」と書かれている。私にはそれがスーパーマリオのノコノコの甲羅に見えてしまった。端っこに体重をかけて弾いたら壁まで滑っていきそうである。しかしどんな持ち主なのか知らないので自重する。初代スーパーマリオはパッケージのデザインがとてもワクワクした。私は小さい頃はファミコンを買ってもらえなかったからそういうのでワクワクするしかなかった。そういう子は決まってティッシュの空き箱をファミコンのカセットの投入口に見立ててカセットっぽい空き箱を差し込むのだが、カセットっぽい空き箱の決定版はなくて、いつも間に合わせだった。ティッシュの空き箱は大きさこそ変わったがデザインは変わっていなくてすごい。でもゲームもダウンロードが主流になってしまったからティッシュの容器以外の使い道がない。

問われる私たちの常識

去年いちばん買ってよかったものは、「バットでぶっ叩いても割れないティーポット」です :: デイリーポータルZ

上記の記事の中で"問うべきはメーカーの責任ではなく人間の常識の方であろう"という言い回しがあって大変気に入った。自社のガラスポットの丈夫さをアピールするために金属バットで殴った社員に対する揶揄である。記事の筆者も大変得意になっているような気配もあり、私もこの言い回しを思いついたことを羨ましくかんじる。ただ私はうまい言い回し、を自分では少し敬遠するところもあり、それはそういうときは大抵無防備になってしまうからである。


無防備でもなんでも気に入ったことには変わりないので記事についたコメントを追っていったがみんな「割れなきゃいいってもんじゃない」とか「よく割るんですよね」みたいなのばかりで、言い回しについて触れているのはあまりなかった。常識を問われてしまい、かしこまってしまったのだろうか。


年を重ねると笑えることも減って本当に人生がつまらなくなる。自分の生活を振り返るとだいたいは愛想笑いで、あとは自分の言ったことに笑っている。小気味のいい返しをしてくれて尚愉快なこともあれば、自分の主張ばかりで興ざめするパターンもある。

AKBは上からマリコのときが全盛期

あじさいさんの記事を読んでいたら篠田麻里子が出てきたので懐かしくなって上からマリコを聴いた。サビ以外は全然覚えがないものの、歌のかんじがもろAKBというかんじで全然手をかけずに作られた歌のように聞こえた。ひょっとしたらこの曲がリリースされた頃がAKBの全盛期では? と思った。手前のグループのメンバーをそのまま曲名にするという楽屋オチみたいなやり方でも何万枚もさばけてしまう。まるで「平家であらずんば人にあらず」と言っていた平氏のような傲慢さである。もちろん誰かが特別に調子こいたわけではなく時代がそうさせたのである。栄枯盛衰に漏れることなくその後のAKBは以前ほどの勢いはなくなってしまった。


私はAKBには詳しくないから勝手に全盛期とか言ってしまったが人によってはフォーチュンクッキーだったりヘビーローテーションだったりするのだろうからここからモーニング娘。の話に変わるがラブマシーンが出たときは本当に道が開けるような感じがした。それまでが本当に煮え切らなかったから尚更すっきりした。例えるならイエスタデーを発表した後のビートルズのようである。というとビートルズファンの人は「それは違いますよ」と言うだろうがビートルズモーニング娘。も詳しく知っている人はそうはいないだろうからそれでいいのである。


いちばん気の毒なのは平家みちよで平家だけがオーディションに通ってその残りがモーニング娘。になったという背景があったくせにモーニング娘。のほうが国民的なグループになってしまったから立つ瀬がなくなってしまった。合同のライブに私も行ったことがあるが、モーニング娘。の出番が終わって平家が出てくるとみんな席について額の汗を拭き、休憩タイムになってしまうのである。私は今でもそのことを思い出して平家を気の毒に思ってしまうのである。


しかしモーニング娘。の時代が過ぎてAKBの時代が過ぎてその次の時代も過ぎるから同じことなのだろう。

上からすきお - 母父トニービン

いつか走馬燈も自分で選べる時代に

何日か前の夢で見たのか突然妄想がわいたのか、そのうちに死ぬ前の走馬燈も自分の好みのセレクションにできるサービスが出てくるのではないかと考えた。それほど難しくないようにかんじたからやはり夢だったのか。例えば網膜の脇に小型のカメラを埋め込んでおいて自動車のカメラみたいに衝撃を受けたらサーバーにデータを飛ばして保存しておく、心拍が下がったら溜まっていた映像を流すみたいなことだったら案外早くできるのかもしれない。網膜にカメラというのが一番の障壁だが、実際ある富豪のカメラマンはシャッターチャンスを逃すのが惜しくてヘッドバンド型のカメラを頭に装着して日中見た映像をすべて記録し、あとからいい感じの風景を写真に残しているそうだ、というのは私の創作だ。


でもそれよりも私たちの記憶とはなんなのかが気になる。ニューロンです、というのが答えなのだろうが、私はニューロンが何なのかがわからない。記憶の情報は映像や音ではなく、記号なんだろうな、というのは何となく想像がつく。お母さんや親しい友人の顔を思い浮かべることができても、それを絵にはできないからだ。しかし写真を見ればその人だとわかるのはなんでだろう。私はそのことのほうがずっと不思議で不自然に思える。コンピューターのプログラムを書くとき、データベースにつなぐときは必ずその構文を書かなければいけないが、私たちの記憶のデータベースは常につなぎっぱなしでなんなら一方的にデータを出してくることも多い。つまり制御しているのは私たちの意志や意識じゃないということか。誰かその辺のことを面白く解説している本があったら教えてください。